神之谷
【こうのたに】

旧国名:大和
吉野川支流神之谷川・北股川流域に位置する。中世には河野郷(上月記/群書21),あるいは河野谷といった。最初の集落は北股川・三之公川流域の小盆地にあったが,中世初め神之谷奥に移住し,さらに現在地に移ったという(南山慟哭)。一時神之谷奥や三之公に後南朝御所が置かれたと伝えられ,神之谷奥の御所を河野御所という。長禄元年赤松家遺臣によって北山御所の一宮自天王と河野御所の二宮忠義王が討たれ,後南朝は滅亡した。後南朝系譜は定かでなく,地元民が崇敬する金剛寺境内の自天王墓は,宮内庁では河野宮墓としている。自天王の亡き後,川上郷民によって祭祀が行われ,御朝拝式という行事が毎年2月5日川上村内の後南朝家臣の流れをくむ筋目衆によって奉仕されている。
【神之谷村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【神之谷(近代)】 明治22年~現在の川上村の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7166822 |




