小栗栖
【こぐりす】

旧国名:大和
「おぐるす」(大和志),あるいは「おぐりす」ともいう。吉野川支流高見川中流域に位置する。地名の由来については,栗栖は国栖あるいは国樔と同義で先住土着を意味するとも考えられる。「古事記」や「日本書紀」に見える国樔地方に近接することから,国樔の分れとも考えられる。中世には国民小川氏の支配下にあった。福寿院廃寺跡に,室町前期の作と推定される十三重塔1基,五輪塔大1基・中3基・小10基,宝篋印塔1基がある。五輪塔の1つには「光明真言 毎夏一返 現当尽未来際唱之 為彼四十人結衆 所奉寄進楮一反於浄土寺如件 正平十二年八月一日 一結衆敬白」と,藤原弘重ら一族の姓名とともに陰刻されている。弘重は小川氏の一族と考えられる(東吉野村郷土誌)。
【小栗栖村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【小栗栖(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7166865 |




