東九条
【とうくじょう】

旧国名:大和
佐保川支流岩井川下流域に位置する。地名は,平城京の八条大路と左京三坊大路の交わるところ,すなわち九条坊の地にあたる「九条」を東西に二分して,東九条・西九条と称するようになった。なお当地には古代に穂積寺があった。「霊異記」中巻第42話によると,平城京左京9条2坊の人海使
女は貧窮により福分を願い「穂寺」に詣でたとあり,「今昔物語」巻16第10話には「穂積寺」と見える。天平14年11月15日優婆塞貢進解(正倉院文書/寧遺中)にも左京六条1坊に住む小治田朝臣の貢進に対し「□積寺僧学達」の署名が見える。寺の所在地については,平城京左京9条4坊2坪に相当する地内の法角堂稲荷神社付近とされている。
【東九条郷(中世)】 平安末期から見える郷名。
【東九条村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【東九条(近代)】 明治22年~昭和30年の辰市村の大字名。
【東九条町(近代)】 昭和30年~現在の奈良市の町名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7168217 |




