大和
【やまと】

旧国名:大和
(古代)大和期から見える地名。大倭・倭・大養徳などとも書き,「おおやまと」とも訓む。当初は山辺の道に沿った小地域の名称であったが,大和政権の発展に伴い,郷名・国造国名・令制国名を経て国号にまで使用対象が拡大した。ヤマトは「山処」で山のあるところ,山に囲まれた地を示すか。三輪山の山の本,すなわち「山本」の転訛とする説もある。そのほか,山門としたりヤマト島の中心地とするなど異説も多い(地名伝承論・地名語源辞典・天理市史・桜井市史)。①大和。仁徳天皇皇后石之日売が奈良の山口で詠んだ歌に「あをによし 奈良を過ぎ 小楯 倭を過ぎ 我が見が欲し国は 葛城高宮 吾家のあたり」と見える(古事記仁徳段)。また「万葉集」巻13の「うち日さつ三宅の原ゆ……大和の 黄楊の小櫛を 抑え挿す 刺細の子 それそわが妻」(3293)ものちの城下郡三宅郷や大和郷付近を詠んだものか。天平宝字2年には「城下郡大和の神山」に奇藤が生じたと報告されている(続紀天平宝字2年2月己巳条)。ただし「延喜式」神名上の大和坐大国魂神社三座は山辺郡13座のうちに見える。天平2年の大倭国正税帳(正倉院文書/寧遺上)の山辺郡条には「大倭神戸」の租稲1,041束のうち祭神料として4束,神嘗酒料として100束を用いたとある。「新抄格勅符抄」大同元年牒によれば神封は327戸で,20戸が大和国であった。持統天皇6年藤原宮造営に際し,幣を伊勢・大倭・住吉・紀伊の大神に奉っている(持統紀6年5月庚寅条)。同年大夫らを派遣して新羅の調を伊勢・住吉・紀伊・大倭・菟名足に奉るともある(同前12月甲申条)。嘉祥3年大和大国魂神に従二位が授けられ(文徳実録嘉祥3年10月辛亥条),貞観元年には従一位が与えられた(三代実録貞観元年正月27日条)。「延喜式」によれば,名神大社で,月次・相嘗・新嘗の各祭にあずかり,祈雨神でもあり,丹生川上神への奉幣には大和社神主が随行することになっていた(臨時祭)。なお丹生川上雨師神は大和社の別社であるとの主張も見える(寛平7年6月26日符/三代格1)。貞観元年に風雨祈願のため(三代実録貞観元年9月8日条),同12年には河内国築堤のため雨労なきを祈り(同前12年7月22日条),元慶元年には止雨を祈るためそれぞれ奉幣がなされている(同前元慶7年7月13日条)。同社の創祀については,はじめに天照大神と倭大国魂の2神を宮中に並祭したが,天皇は神の勢いを恐れ,渟名城稚姫命(渟名城入姫)に命じて,日本大国魂神の神地を穴磯邑に定め,大市の長岡岬で祀らせた。しかし,姫の髪が抜け,体力が弱り,神を祀ることが困難になったので,大倭直の祖市磯長尾市宿禰を神主としたところ疫病が鎮まったと伝承される(崇神紀6・7年条・垂仁紀25年3月丙申条一云)。穴磯邑は式内社穴師坐兵主神社の鎮座する現桜井市穴師に比定され,大市は「和名抄」城上郡大市郷の比定地である現天理市柳本町東南部から桜井市箸中付近と考えられ,いずれも城上郡内に位置する。仁安2年の大倭神社注進状(大和志料上)によると大倭神社は「大和国山辺郡大倭邑」に鎮座する。広義のヤマトの範囲は城上・城下・山辺の3郡に及んだことが知られる。地名にちなむ氏族としては大倭氏がいる。姓は直から連,次いで忌寸,宿禰を賜わっている(天武紀10年4月庚戌条・同12年9月丁未条・同14年6月甲午条,続紀天平9年11月壬辰条・同20年正月甲戌条・同天平勝宝3年10月丁巳条)。古くは倭(大倭)と書き,奈良期には一時,国名の改称に連動して大養徳とも記されたが,のちには大和の表記となる。大和宿禰は神武天皇東征の際,いち早く帰属し道案内や軍機の策を行った宇豆彦(神知津彦・椎根津彦)の子孫とあり,大倭国造に任ぜられた大倭直の始祖とも伝承される(姓氏録大和国神別)。また仁徳天皇の没後,倭直吾子籠は太子(のちの履中天皇)に妹の日之媛を献じたとされ,倭直氏による采女の貢上はこの時に始まったという(履中即位前紀)。大倭国造については,「珍彦を以て倭国造とす」と見え(神武紀2年2月乙巳条),椎根津彦命を大倭国造に任じたともある(古事記神武段,旧事紀国造本紀・天皇本紀)。さらに大倭国造吾子籠宿禰(雄略紀2年10月丙子条)・倭国造手彦(欽明紀23年7月是月条)・倭国造祖比香賀君(旧事紀天孫本紀)・大和国造等祖武位起命(同前皇孫本紀)の名が見え,斎宮に対して采女・御田・神戸などを献上したという伝承もある(倭姫命世記・皇太神宮儀式帳)。律令国造としては大倭忌寸五百足・大和宿禰長岡の父子がいる(続紀文武元年11月癸卯条・同神護景雲3年10月癸亥条・同延暦10年3月丙寅条)。また大養徳連友足(天平14年11月17日智識優婆塞等貢進解/大日古編年2)は城下郡大領であり,大和雑物(続紀天平宝字2年2月己巳条)・大倭連田長(同前天平勝宝3年10月丁巳条)らは城下郡人とある。②大和郷。「和名抄」城下郡六郷の1つ。高山寺本は「於保也万止」,東急本は「於保夜末止」と訓む。「大和志」は当郷を式内社倭恩知神社の鎮座する海知村(現天理市海知町)に比定する。式内社大和坐大国魂神社の鎮座地(現天理市新泉(にいずみ)町)にも近く,城上・城下・山辺の3郡の境に接する。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7169967 |




