カンチヤウカケ村
【かんじょうかけむら】

旧国名:紀伊
(近世)江戸初期に見える村名。那賀郡のうち。元和7年11月14日に成立したとされる安楽河荘脇谷四至絵図写には,脇谷の入口にあたる部分に「野田原之内 カンチヤウカケ村」と見え,百姓家4軒分が描かれている(高野山文書/大日古1-5)。この絵図は,「安楽川村之内脇谷」の空地をめぐって,寛文5年に高野山南院と修理領の百姓とが争った際に作成され関係文書とともに提出されたもので,当村が野田原村のうちの東部に位置し,後に野田原村の小名となる神縄掛に相当することがわかる。現在の桃山町野田原のうちに比定される。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7171147 |




