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上橋津
【かみはしづ】


旧国名:伯耆

馬の山の山すそを湾曲して流れる橋津川沿いに位置する。古来の海浜道沿いに成立した連村の1つで,正嘉2年の伯耆国河村郡東郷荘下地中分図(柳沢真次郎氏所蔵/日本荘園絵図集成上)に橋が描かれており,ここが橋津の元村であった。馬の山南麓の山肌からサヌカイトに似た「チン石」と呼ばれる硬質の石塊が出土する。地内のスクモ塚に天文9年羽衣石(うえし)城の奪回をはかった南条宗勝が山名氏の重臣武田山城守を総大将として尼子国久・豊久父子と激戦したといわれる橋津川の古戦場がある。また,地内に子安観音など3体の仏像を祀った観音堂がある。西蓮寺縁起末庵記には天文9年上野国新田荘世良田の僧静願坊が廻国の際,ここに庵を結び同13年に没したもので,その笈仏を安置したと記す。観音堂の丘に西蓮寺跡がある。西蓮寺はもと上橋津にあったが天正12年の馬の山合戦に兵火に罹り堂塔・文書一切を焼失し,慶長18年橋津に移ったと伝えられる。
上橋津村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
上橋津(近代)】 明治22年~現在の大字名。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7174891