北山
【きたやま】

旧国名:因幡
八東(はつとう)川中流右岸,清水山山麓に位置する。地内六郎谷には横穴式石室を有する円墳など9基の古墳があるが,ほとんど盗掘されている。第2号墳は道路工事中に発掘されたが,須恵器のほか,金環・硝子製勾玉・鉄製鋸などが出土した(県古墳調査報告書・八東町誌)。また土器を生産した窯場があったと考えられている(八東町誌編纂余話)。なお地内一ツ山からも土器のほか鉄製の仏像が発掘された(八東町誌)。当地域から島地内へかけて条里制の遺構が認められ,大坪田,榎ケ坪,上・下柳縄手などの地名が残る(同前)。清水山には鷹山城址があり,大江広元の子孫丹比氏の居城とされる。同城は,天正9年丹比孫之丞の代に豊臣秀吉の中国攻めで落城した(因幡志)。城塞の構が判然としており,八幡馬場などの地名が残る。同城に関係すると伝えられる五輪塔数十基は,現在1か所に集められ保存されている。
【北山村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【北山(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7175044 |




