庁
【ちょう】

旧国名:因幡
丁とも書く。袋川中流左岸の平地に位置する。地名の由来は古代国庁の置かれていたことによると伝承する。昭和47年以降,圃場整備事業開始などに伴い県教育委員会によって,集落付近の発掘調査が数次にわたって行われたが,国庁跡は発見に至らず,北西約500mに隣接する中郷地内の遺跡が国庁跡と認定され,当地内における国庁の存在に疑問が残されている。また,付近の発掘では中世までの住居跡は確認されている。集落の東側は国庁敷地の一部として保存され,付近に中世のものという高さ2m余の巨大な五輪塔がある。南の今木山麓法花寺から集落東側に通じる古道があり,八東(はつとう)郡から通じた古代の主要道で,天正9年羽柴秀吉の鳥取城攻囲の際もこの道を進攻した。
【庁村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【庁(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7175977 |




