永江
【ながえ】

(近代)昭和49年~現在の米子市の大字名。昭和49年県住宅供給公社の青木住宅団地施行区域内(青木・福市・諏訪の各一部)をもって成立。町名の由来は,小字名によって命名(米子市五十周年史)。昭和45年県下で最大の青木住宅団地の造成工事が始まる寸前,宅地造成によって多数の遺跡が破壊されるとして山陰考古学研究所より保護・保存の要望書が県に提出され,開発か保存かをめぐって大きな論議が展開された。昭和46年には遺跡の調査が県教育委員会によって行われ,「遺跡は弥生中期から古墳時代まで600年にわたって古代人が住んでいた村跡で山陰地方の古代史研究にはきわめて貴重な遺構である」と発表した。さらに,青木遺跡を守る会などが結成され,遺跡の保存活動が行われた。県文化財専門委員会は「結論として記録保存することを条件に開発優先の立場から工事はさしつかえない」と答申した。その結果昭和46年に着工の認可があった(米子市五十周年史)。開発は同47年から同54年にかけて行われ,同55年9月現在の住宅建設状態は,積立分譲住宅292戸・分譲住宅136戸・県営住宅416戸・市営住宅152戸・その他13戸の計1,009戸で計画戸数1,342戸の75%が建設された。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7176184 |