名和
【なわ】

旧国名:伯耆
古くは奈和・那波・縄とも書いた。名和川中流両岸の河岸段丘上と右岸の長者原台地一帯に位置する。長者原西側肩部には,名和川を見下すように坪田古墳群が5基連なり,また,西馬郡には「ハンボ塚」があったが,農免農道のため発掘調査をして記録保存とした。これは直径54m,人物埴輪2・動物埴輪1などの形象埴輪のほか馬鐸・土馬なども出土したが,これらがそろって発掘調査で出土したことはこの地方では珍しく,注目を集めた。また,長者原の名和神社裏では農免農道の事前調査によって,礎石群の抜取跡,大量の焼米が出土し,倉庫群のあったことが確認された。そのほか,圃場整備事業に伴い,門前の礎石群・馬郡遺跡などが調査されたが,古代の和奈駅を裏付ける遺構は確認されなかった。また,長者原から古銅印「財」を出土。
【奈和郷(古代)】 平安期に見える郷名。
【名和荘(中世)】 南北朝期から見える荘園名。
【奈和村(近世)】 江戸期~明治10年の村名。
【名和村(近代)】 明治10~22年の汗入郡の村名。
【名和村(近代)】 明治22年~昭和29年の自治体名。
【名和町(近代)】 昭和29年~現在の西伯郡の自治体名。
【名和(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7176305 |




