庖丁人町
【ほうちょうにんまち】

(近代)明治初年~現在の町名。江戸期は鳥取城下の武家屋敷地で,通称地名として存在し,廃藩置県に伴い町として起立した。鳥取城の南西に位置し,西は内濠(薬研堀)に面する。北は江崎町,東は大榎町,南は大工町頭と接し,西は濠を隔てて掛出町に対する。江戸期には御台所町とも呼んだ。町名の由来は,藩の台所方役人の居住地であったことにちなむ。「鳥府志」によれば,江崎下ノ丁の焼餅屋の横手の一筋で,大榎町までの間と,袋町の新道の行止りまでを占め,撞木形の侍町であるという。当町の南側は,中小姓の屋敷があったため扈従(こじゆう)町と呼ばれていたが,その地域も含めて庖丁人町となった。明治9年の戸数70・人口254(鳥取市史)。同22年鳥取市に所属。昭和期に入って当町西側の薬研堀は埋め立てられた。昭和50年の世帯数77・人口228。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7176851 |