木見
【きみ】

旧国名:備前
往古喜美とも書いたという。児島半島中部の熊山・タコラ山・竜王山と連なる山並みの西麓と郷内川に沿う崖錐に位置する。地名の由来は承久の乱に配流された後鳥羽上皇第四王子冷泉宮頼仁親王,すなわち君によるとの説がある。頼仁親王は林村尊竜院に謫居,文永元年薨去,木見の諸興寺に葬り地元ではこれを若宮殿と称した(備陽国誌)。また木見の御陵ともいう。五輪塔が残る。現森池の下に鳩岡という地名があるが昔は波止岡で港であったと伝承され,郷内川に沿う低地は海退のあとと思われる。向木見遺跡からは弥生中期以降の遺物が出土。特に群集した箱式石棺・集石土壙墓・特殊器台などの注目すべき発見があった(考古学手帳12)。奥木見城跡は住心院の東の131mの山上にあり,三宅源左衛門の居城と伝える。
【木見村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【木見村(近代)】 明治22~39年の児島郡の自治体名。
【木見(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7183417 |




