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千町平野
【せんちょうへいや】


岡山平野の東部にあたる吉井川左岸にある平野。邑久(おく)郡邑久町の大部分が含まれる。先史時代には瀬戸内海の一部をなす海が大きく湾入しラグーン(潟湖)をなしていたが,吉井川の堆積作用により次第に陸化していった。邑久町豊原や山田庄には貝塚があり,当時の海岸線をうかがわせる。古代には大部分が沖積平野となり,条里地割が施行された。現在も県道をはじめ,直交する道路や水路にその遺構が見出される。また坪地名もほぼ完全に残っている。近年,豊原の大橋地区から下笠加にかけて条里の異常辺長が発見され,古代の郷域の境界で盆地状の平野の中分法として注目されている(高重進:岡山の地理)。この平野の西部を干田川が,中央を備前市坂根から取水する備前大用水が,南部を千町川が流れている。これらの河川・用水は灌漑に使用されているが,千町川は低湿で,むしろ排水機能の方が重要である。干田川付近も吉井川の旧河道にあたり,集落の多くは周囲にある自然堤防上に立地している。梅雨など降水が多い時期には水田は長く冠水し被害をもたらすことが多く,邑久町から牛窓町へ通ずる県道も千町川付近でしばしば冠水し交通が困難となっていた。しかし,この肥沃な平野はみのり豊かな穀倉地帯で,早くから農業機械も導入された先進地域でもあった。この平野の中央に位置する尾張は中心地機能を持ち,県立邑久高校,町役場,病院,大規模なスーパーが立地している。JR赤穂線の開通後,岡山市への通勤が容易となり,経済高度成長期以後邑久駅西部に新興住宅団地が出現した。ただ都市計画が不完全な状態で都市化が進行した結果,道路・下水道・教育施設などへの対応が遅れ,スプロール化が進んでいる。一面水田であった千町平野にも岡山県道路公社により東備西播開発有料道路(ブルーハイウエー)が建設され,コンクリートの高架橋がほぼ東西に横断する景観を生み出した。平野の東端に邑久インターチェンジが設置され,牛窓町への新しい玄関口となっている。インターチェンジ付近の邑久町本庄の佐井田地区には画家で詩人の竹久夢二の生家があり,観光客が多数訪れる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7184600