船坂峠
【ふなさかとうげ】

備前市三石の東部にあり,兵庫・岡山両県境となっている旧山陽道の峠。標高180m。古代山陽道に沿う三石に坂長駅が設けられ,大槻如電の「駅路通」に「舟坂山は山坂長ければ此名あり」と駅名の由来が記されている。鎌倉期東大寺再建に活躍した俊乗坊重源が生涯の事蹟を著した「南無阿弥陀仏作善集」に「備前国船坂山は昔より緑陰相交り,往還の人或は愁悩し,或は身命を失なう,よつて国中の貴賤を勧進し,彼の山を切り掃い顕路となし,永く盗賊の難を留む」とあり,船坂峠は古くから山陽道の最大の難所とされ,重源がこの峠道を改修して旅人の安全を図った。「太平記」には児島高徳が後醍醐天皇の隠岐配流を船坂山に待ち受け奪還を試みたが,杉坂峠より美作国に入られたので失敗したと記されている。船坂峠の西に児島高徳の船坂山義挙の碑がたつ。室町期浦上氏が備前守護代として三石に拠城を構えてから,峠は東の関門となり,この地をめぐり戦が繰り返された。江戸期は西国大名の参勤交代の主要道となり,峠には元禄16年建立の「従是西備前国」と刻まれた国境標石がある。明治期,車両交通が始まると峠は交通障害となった。明治9年三石の西兄坂(えさか)・弟坂(おさか)は村民の資金で切下げが行われた。当時政府の三石以東の国道路線変更計画に対し,岡山・兵庫両県沿線14か村は「船坂峠の険を開削し,大山峠の険を避け,鯰峠を開削し,人馬の往来を自由ならしめ広く公益を図らんため」に新道開設に反対し,国道維持を嘆願した。同16年と同28年に道路拡張と切り下げが行われ,国境石の位置より約10mも下になり,現在は大正15年建立の県界標がたっている。昭和6年峠道に切石舗装が行われた。同27年国道2号と改称され,同29年全長420mの船坂トンネルが開通し,長期間交通の難所であった船坂峠は国道から除外されてその使命を終わった。同39年全長1,600mの三石バイパスと2つのトンネルの完成で交通難が解消した。山陽本線も明治43年10月開通の1,171.5mの船坂トンネル(下り線)と昭和34年7月開通の2,003mの新船坂トンネル(上り線)で岡山・兵庫両県を結んでいる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7186415 |




