石内
【いしうち】

旧国名:安芸
八幡川支流石内川の流域。もと石道(いしみち)といい,地名の由来は,谷間の道で石の多かったことにちなむという(国郡志書出帳)。石内川流域には条里遺構が見られる。中世には「石道」と称されており,厳島関係文書に「石道」が散見される。「石内」と転訛したのは天正年間頃か。天正6年3月の白鳥社祭礼事書(平賀家旧記/県史)に「石内八幡宮」が見える。地内の臼山八幡神社のことであろう。慶長6年5月9日の厳島社領高辻物成覚(野坂文書)には「高弐千七百八拾四石八升四合」の19村のうちに「いしうち」と見え,厳島社領であったことが知られる。地内には古代・中世の官道沿いの山地に数多くの中世古城跡が残されている。戦国期に児玉内蔵大夫の居城と伝える狐ケ城,飯田越中守の居城と伝える京良木山城,大内氏の家臣遠藤美作守居城と伝える釈迦ケ岳城,同じく新里式部の居城と伝える西ケ城,源平合戦の時源氏方の佐々木左衛門国正が居城し,天文10年頃には大内氏の家臣麻生右衛門尉が在城したと伝える水晶ケ城,同じく源平合戦の時平家方の城と伝える今市城・串山城,南北朝期に南朝方の有井三郎左衛門尉が築き,のちに山県備前の居城と伝える有井城,武田氏の家臣長尾氏の居城と伝える長尾城の古城跡があり,ほかに高城跡・徳美城跡が知られる。
【石内村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【石内村(近代)】 明治22年~昭和30年の佐伯郡の自治体名。
【石内(近代)】 昭和30年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7187568 |




