千光寺
【せんこうじ】

尾道市東土堂町にある寺。単立(真言宗系)。大宝山権現院と号す。本尊は十一面千手観音。火伏せ観音の俗称がある。開創者や開創年代などは未詳だが,寺伝では本尊を多田満仲の守り本尊という(芸藩通志)。中世には備後国での熊野信仰の中心となる先達寺院の1つ。永享7年8月,千光寺空真が御調郡河南二村の紀朝臣右京亮高家ほか15名の先達をつとめており,享徳2年7月には備後国重永荘神上寺の檀那小森備中入道子息ほか13名の先達として願文を出している。文明17年閏3月29日付の尾道権現堂(千光寺)檀那引注文でも「神上寺跡之後旦那悉皆」ほか御調・沼隈・世羅郡に散在する檀那をひきいる。一方,享徳2年8月に空真は土屋弾正と連名で,那智御坊より10貫文を借用しており(以上熊野那智大社文書/県史),紀伊国熊野へ参詣をうながす地方修験者の活動の一端が伝わる。天正5年正月から杉原元恒を大檀那として開帳が行われる(新修尾道市史)。慶長5年の尾道分打渡状では,権現堂領として5石8斗余の寺領を有したが,福島氏は入封後これを没収(尾道志稿)。戦国期山頂には杉原氏の千光寺城があり,現在千光寺山の山腹に本堂・鐘楼・客殿や,かつて杉原氏護身の毘沙門天像を安置した三重塔跡に建立された護摩堂がある。なお境内から尾道の町並みや芸予諸島が点在する瀬戸内海が望まれ,頼山陽・田能村竹田らもこの眺望を愛した。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7189491 |