徳分
【とくぶん】

旧国名:安芸
(中世)戦国期に見える地名。安芸国佐西郡のうち。厳島社領としての徳分収得の地であったことに由来すると思われる。天文10年7月5日の大内氏奉行人連署厳島社祭礼再興下知条々に「一,九月九日饗膳,先年者十八徳分ヨリ勤之処,依行人給,相残徳分減少之故,如前々無之由ニ候」とあるが(厳島野坂文書),天文20年正月21日の野坂藤綱安堵状には「宮内大徳分松王丸四分一之事……并徳分友国名主地内四百田弐段」とあり,この時点では地名化している。弘治4年9月20日の厳島社領安芸国佐西郡徳分検見帳によれば,徳分は完全に地名となっている。天正17年11月10日の厳島社祭料并御供田辻付立には「一,〈徳分〉百拾六石壱斗八升三合 棚守取用」とあるが,天正19年11月22日の厳島社祭田并灯明領祈念領検地高辻覚によれば,当地の田数は17町7反大30歩で,分米116石余のうち43石余が厳島神社の祭事費用,残る72石余が神官棚守の取納分であった(野坂文書)。慶長6年の検地で,上平良(かみへら)・下平良・宮内・地御前の各村が成立し,この4か村を含む徳分の地名は消滅。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7189916 |




