灰塚
【はいづか】

旧国名:備後
三次(みよし)盆地の南東部,馬洗川支流の上下川流域に位置する。中世現吉舎(きさ)町に本拠をおく広沢(和智)氏の支配下にあり,戦国期には惣領家和智誠春の弟久豊が配されていた。久豊の拠った萩原城は大規模な山城。現在城跡西麓に湯谷と呼ぶ小地名があるが,中・近世の湯谷(柚谷とも)はもっと広域をさす地名で,「芸藩通志」は近世の灰塚村ほか4か村を湯谷荘と称すとしており,和智久豊の支配地域を指す地名であろう。永禄12年和智久豊は兄誠春とともに毛利元就に誅され,萩原城も接収された。日蓮宗永照山顕徳寺は天文10年創建で久豊の祈願所という。
【灰塚村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【灰塚(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7190350 |




