三谿郡
【みたにぐん】

旧国名:備後
古代~明治31年の郡名。備後国の中西部,県の北東部に位置する。「三谷」とも書かれた。「和名抄」国郡部では「美多尓」と訓む。現在の双三郡三良坂町,吉舎(きさ)町の大半および三次(みよし)市の東南部に相当する。郡名は,深谷・水谷の意か,また三つの谷の意か(芸藩通志)。
(古代)平城宮跡から発掘された木簡に「備後国三谷郡」と見える。
(中世)平安後期に律令制的郡郷の改編が進展すると,当郡も大きく二分割されて,三谷西条・三谷東条が形成されたとみられる。
(近世)慶長5年福島氏,元和5年浅野氏の入国以来の広島藩領。
(近代)明治11年郡区町村編制法施行により世羅・甲奴【こうぬ】両郡とともに同一郡役所の管轄となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7191015 |