赤間関
【あかまがせき】

旧国名:長門
本州の最西端に位置し,関門海峡を隔てて九州と相対する。古代,関門海峡の関が設けられた地で,赤間の由来は,赤目竜が陸地を蹴破って作った水路が海峡となり,船着場ができてその地を赤目国といって赤間津と呼ばれるようになったとする説。赤間硯の大きな原石があってそれが赤い馬に見えたことから赤馬と呼ぶようになったとする説。赤馬とは舟舸の異名で当地が港であったことから名づけられたとする説。赤間は開間(あきま)のことで長門・豊前二州の海峡となったので名づけられたとする説など諸説がある。「延喜式」に見える臨門(りんもん)駅は赤間関にあったともいわれ,古くから交通の要衝であった(下関市史)。古くは下関あるいは単に関とも呼ばれ,のちには赤馬関の字を当てて馬関(ばかん)などとも呼ばれている。三蹟の一人藤原佐理は正暦2年西国に下向し,5月19日,春宮権大夫藤原誠信に書簡を送った。その中で彼が5月16日「長門赤馬泊」に来到したと記している(畠山記念館蔵離洛帖)。また「散木奇歌集」の源俊頼の歌や題詞に「あかま」が見える。南北朝期の「平田和尚伝」には「下関則赤間関也,人或以赤壁呼之」とある(続群9下)。
【赤間関(中世)】 鎌倉期から見える地名。
【赤間関(近世)】 江戸期~明治12年の総称名。
【赤間関区(近代)】 明治12~22年の区名。
【赤間関市(近代)】 明治22~35年の自治体名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7191660 |




