100辞書・辞典一括検索

JLogos

20

岩国平野
【いわくにへいや】


錦川が安芸灘へ注ぐ所に発達した円弧状三角州平野。面積約22km(^2)。平野部は錦川による沖積地と江戸期の干拓地に大きく二分される。吉川広家が入部した慶長5年以前の岩国は三角州の発達が貧弱で,当時の沖積地は岩国市今津町と車町を結ぶ寿橋や同市中津町と門前町を結ぶ愛川橋を通る県道南岩国停車場磯崎線より上流側で,今津町近辺も河口に発達した自然堤防の州であった。錦川三角州の最初の干拓は,錦川氾濫の影響が少ない麻里布町で始まり,藩営が多い。洪水でたびたび流路変更があった川下地区は民間による雑然とした小規模開作が多かったが,やがて元禄6年の車川新田や同8年の平太川新田など,小河川の干拓が藩営で行われるようになり,錦川の分流が次第に今津川と門前川にまとめられた。一時中断していた干拓事業は天明8年の百姓開を契機に再開された。寛政7年完成の茶屋・菊屋開は川西の町家が土地分譲を条件に献金して開いたもので,以後,三角州末端部で大規模な藩営開作が行われるようになった。尾津・天地(あまち)地区では寛文年間以前に若干の手捌開作がみられるが,藩営や準藩営の大規模開発は文化年間以降である。南岩国駅付近のJR山陽本線以東の干拓地は,現在では岩国蓮根の大産地として有名。今津川と門前川に挟まれた川下三角州の最上流部には古くからクスノキが植えられ,三角州を水害から守っている。錦川左岸には山陽国策パルプや帝人・旭化成,右岸には東洋紡績のほか米軍基地などへの取水場がある。岩国地区には義済堂が立地し,多田地区には生コンクリートやヒューム管工場など用水立地の企業が多い。また川下地区では昭和13年に海軍航空隊基地用地の強制買収が行われ,戦後は米軍基地として使用されている。基地経済に左右される川下,伝統を重視する岩国,核心化をめざす岩国駅前など特色ある商店街が立地するが,広島商圏に圧迫されており,三角州で分断されているため都心形成が人口規模と比較して不十分である。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7191947