100辞書・辞典一括検索

JLogos

28

太華村
【たいかそん】


(近代)明治22年~昭和15年の都濃(つの)郡の自治体名。大島半島と粭(すくも)島に位置し,西は徳山湾に面する。櫛ケ浜村・栗屋村・大島村・粭島の4か村が合併して成立。旧村名を継承した4大字を編成。役場を櫛ケ浜に設置。明治22年の戸数939・人口4,321。同24年の戸数962・人口4,532(男2,348・女2,184),厩4,寺院3,学校3,水車場1,船400(徴発物件一覧)。戸数・人口は,同35年972・5,209(県治一班),大正元年1,045・5,866(県勢一班)。世帯数・人口は,同9年1,265・5,806,昭和5年1,528・6,916。従来,地内の産業の特色は櫛ケ浜は漁業と商業,大島と粭島は漁業,栗屋は農業であったが,第1次大戦後の大正期以降,商工業化が進められた。大正5年,海軍煉炭製造所の下請工場として徳山窯業太華工場が櫛ケ浜字東山根に,神戸市の鈴木商店により亜鉛製錬所(のちの日本金属)が大島字打上に設立された。翌6~7年にかけて栗屋に山陽電気徳山発電所が完成すると,地元の大阪鉄板徳山分工場,徳山の海軍煉炭所,下松(くだまつ)の笠戸造船所など各工場のほか一般の需要にも応えた。同7年大阪鉄板製造徳山分工場が大島字奈切に設立されると,500t級の汽船を繋留できる桟橋など港湾設備が整備された。すでに明治30年山陽鉄道(現JR山陽本線)は徳山駅まで開通していたが,櫛ケ浜駅の開設は昭和3年。次いで同9年国鉄(現JR)岩徳線が開通し,その終着駅になると,商工業化が一段と促進された。同15年改称し,同時に町制施行して櫛ケ浜町となり,村制時の4大字は同町の大字に継承。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7193419