長門国
【ながとのくに】

旧国名:長門
旧国名。本州の最西端に位置する。山陽道の一国で南北西の三面を海に囲まれ,東は周防(すおう)国,東北は石見国に接する。南西端は関門海峡を隔てて豊前国に対する。長門国は始めは穴門・穴戸(あなと)と記された。穴門の地名の由来は,同地の南西端の赤間関と対岸の豊前国との間がわずかに潮の満干の道ばかりであたかも穴の如くであるからという(道ゆきふり/群書18)。
(古代)崇神天皇の頃,意冨加羅国の王子都怒我阿羅斯等がわが国に帰化して穴戸に至った時,伊都々比古が穴門王であると称した,とある(日本書紀)。
(中世)文治元年3月24日,壇ノ浦の海戦に平家一門は滅亡し,鎌倉幕府の政治が始まった。
(近世)慶長5年の関ケ原の戦いに敗れた毛利氏は,8か国の知行を周防・長門両国に削封された。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7193858 |