広瀬
【ひろせ】

旧国名:周防
平家ケ岳・長野山・馬糞ケ岳の南東麓,錦川と支流宇佐川の合流点付近に位置する。地名の由来について「地下上申」は,広瀬村東分では渡瀬の左右が広いためと伝え,西分では,川瀬が広い所の意にちなむとある。また「注進案」では,大和国広瀬郡の人が来て当地を開いたためとの説を記すが,大きな川の急流が峡谷を貫流してきて,当地で穏流となって広くなるためとある。錦川沿岸の芹田遺跡から縄文晩期や弥生後期の土器片・土師器片,蔵光遺跡から縄文土器数百片と掻器状石器や石核,堂の原段丘から縄文晩期の土器片・石器・土師器片,須万地から弥生後期の土器片・土師器片,大谷川段丘尻から弥生時代の石鏃・掻器・石核・土師器片・須恵器片などを出土(県考古学会誌2・7)。
【広瀬(中世)】 戦国期に見える地名。
【広瀬村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【広瀬村(近代)】 明治22年~昭和15年の玖珂郡の自治体名。
【広瀬町(近代)】 昭和15~30年の玖珂郡の自治体名。
【広瀬(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7194310 |




