蓋井島
【ふたおいじま】

旧国名:長門
響灘上に浮かぶ島嶼。本州の最西端。地名の由来について「地下上申」は,「蓋井島と申すは,凡そ五斗も入るべく申す様の石のつぼ有り,是に水溜り居り申すの由,往古神功皇后三韓退治御帰朝の時,此の島へ御揚がり右石つぼの水御取らせなされ,なかなかよき水とて殊の外御褒美なされ,それより蓋覆い給いしゆえ,蓋井島と申し習わし候」と記す。「地名辞書」には「島勢中分し,遠望すれば二島に似たり。蓋井は二処の義かと云う」とある。「豊府志略」には「当島を蓋井と名づくるは,異国よりもし強敵来て当島の真清水を用い,日本の煩ひをなさんかと恐れ給ひて,真清水に蓋をさせ給ひしより蓋井島と云ひへり」と記す。筏石遺跡からは,奈良期から平安期にかけての居住遺構が発見され,製塩土器が出土した。「万葉集」巻6の長門守巨曽倍対馬朝臣の「沖つ借島」はこの島とも言われている。
【蓋井島(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【蓋井島(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7194377 |




