内原
【うちばら】

旧国名:阿波
文安5年12月22日の別当覚葉旦那職売券(良蔵院文書/徴古雑抄2)に檀那として当地の住人と推定される「打原中務子孫」「打原右馬四郎右衛門」が見える。吉野川下流右岸の平野部に位置する。地内西端の字西張に,戦国初期頃,地侍の蓮池氏が築いた蓮池塁跡がある。天文21年阿波国守護職細川持隆が,執事の三好義賢に襲われ,板野郡勝瑞の見性寺で自刃したとき,蓮池清助は立ち腹を切って主君に殉じた。蓮池氏滅亡後,同塁には三好家の臣石田彦六が入り,内原塁と名を改めたが,天正7年12月27日,彦六の孫菊太夫は脇城外の合戦で討死し,同塁も天正10年8月に,土佐長宗我部軍の兵火により落城した(かもじま町の歴史とゆたかな文化財)。
【内原村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【内原(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7195289 |




