御弓丁
【おゆみちょう】

旧国名:阿波
(近世)江戸期の町名。徳島城下富田の武家町の1つ。文化9年の島々丁名改目録に見える。北は北山路との境,東西の古馬場から,南は二軒屋町近く,観音寺辺りにいたる南北の町筋。西は伊賀士町,東は幟(のぼり)丁・足軽弓組や中小姓・日帳格などの下級藩士が居住した。元禄4年の綱矩様御代御山下絵図には,北半分に多数の弓組が居住している(国立史料館蔵/徳島市史別巻)。また,谷田蒔絵で知られる蒔絵師谷田忠兵衛が居住。彼は4代藩主綱通に抱えられ,金こがしと呼ばれる手法の華麗な蒔絵を製作した。この技法は古今蒔絵中,彼唯一の技法で,日本漆芸史上高く評価されている。幕末の三筆と称された書家貫名菘翁は,当町で生まれた。彼は儒学・南画にも通じ,京で書家として一家をなした。なお少年期に,当町の儒医木村蘭皐から儒学と医学を学んでいる。このほか,もと藩の弓術方で,明治に住吉派の画家として活躍した上田魚行も居住していた。現在の弓町の一部にあたる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7195560 |




