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神山町
【かみやまちょう】


(近代)昭和30年~現在の名西(みようざい)郡の自治体名。四国山地の北東部,鮎喰(あくい)川とその支流上角谷川・左右内(そうち)川・鬼籠野(おろの)川・神通谷川などの流域に位置する。阿野・神領・鬼籠野・上分上山・下分上山の5か村が合併して成立。阿野・神領・鬼籠野・上分・下分の5大字を編成。昭和30年の農家数は全体の75%を占め,1戸平均耕作反別は4反と零細な自給的農家が大半を占める(神山町勢要覧)。その後,高度経済成長期に入り過疎化現象が急速に進行。人口は,昭和30年2万916,同40年1万7,215,同50年には1万2,878と大幅に減少し,昭和40~50年の人口減少率は25.2%に達する。その後も上分・下分地区など鮎喰川上流部を中心に慢性的な過疎化が進み,昭和60年の人口は1万1,175。その間産業構造も変動し,昭和30年には全体の75%を占めていた農林業など1次産業従事者は,同55年には35.1%に落ち込み,逆に土木建設・サービス業など2次・3次産業が大幅に増加した(合併30周年記念神山)。産業面では地域特産物の育成が積極的に進められ,昭和40年代以降鬼籠野などを中心に山地斜面を利用したスダチ,神領・阿川・下分などのウメ,阿川・神領などの花卉類,鬼籠野のシイタケなどの生産が急増している。なかでもスダチ・ウメの生産はともに県下第1位,花卉類も関西有数の産地を形成し,とくにヒオウギは全国第1位の生産を示す。昭和57年に県道徳島剣山線が国道439号に昇格し,徳島市方面と木屋平(こやだいら)村方面とを結ぶ。同59年県立神山森林公園の建設が始まる。国重文としては,下分左右山出土の平形銅剣2口および下分栗生野の粟飯原家住宅1棟がある。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7195692