姫田
【ひめだ】

旧国名:阿波
讃岐山脈東端近くの天ケ円(あまがつぶ)山の南麓に位置し,北半分は山地,南半分は吉野川下流の沖積平野からなる。大森および小森宮尾神社の前に貝塚がある(鳴門市史)。また古墳の1つは蛇塚と称し,姫田佐渡守が大蛇を退治したとする伝説が残る。また条里遺構と思われる地割も見られ,古代の官道である南海道が東西に通じるところから,早くから開けた地と考えられる。中世には泊荘のうちと伝え(板野郡村誌),また「阿波志」では藤原資家の墓があるとしているが未詳。字大森には姫田城跡があり,戦国期には姫田佐渡守が在城した。佐渡守は天正5年長原で勝瑞城主三好長治に殉じて自害し(古城諸将記/徴古雑抄7),その一族姫田甚左衛門は天正10年に長宗我部元親の兵と戦い中富川原で戦死したという(阿波志)。
【姫田村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【姫田(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7197174 |




