内野々
【うちのの】

旧国名:讃岐
内野とも書いた(佐伯家文書)。柞田(くにた)川の支流内野々川流域に位置する。古来信仰の山として栄えた雲辺寺山山麓の丘陵台地を開墾した山村で,四国霊場八十八か所第66番札所の雲辺寺(徳島県池田町)の登山口で,登山道は亀割(上割)が本道,ツベン(津円・杖・常とも書く)堂の脇道がある。萩原寺(萩原)の寺伝では字長尾にあった津円堂が寺の境内で地蔵院では最も奥にある建物と伝わることから,内野々とは境内の野の意と考えられる。昔雲辺寺は山頂の持宝院を奥の院,郷坊の地蔵院を本院にする1つの寺院で,元禄10年寺僧の争いから公訴するに及んで2寺に分かれた。「西讃府志」には「雲辺寺山ハ和漢名数,諸国高山部ニ挙テ讃州トセリ,西伊予ヨリ東ニ続テ絶エズ,西讃ノアヅカル所……東西七里,雲辺寺ハ彼寺アルアタリヲ云フ名ニテ,此山ノ総名ニハ非ズ,此ノアタリ最高キニヨリ,名数ニハ挙グルナルベシ,谷或尾ナドニハ其所々ニテ名アリ,水流レヲ限リ南ノ方阿波国ニ属セリ」とあり,昔から讃州雲辺寺山と呼びならわされている。また「全讃史」では,巨鼇山四州にまたがる,東は阿州,南は土州,西は予州,北は讃州,弘法大師が寺をその頂きに建てて雲辺寺と号し,本尊は坐像の千手観音(高さ3尺3寸),左右に不動・毘沙門の2像,ともに大師作,昔四国坊があったが今は唯阿坊のみ残り,観音閣(御殿)は讃州にあると記される。
【内野々村(近世)】 江戸期~明治23年の村名。
【内野々(近代)】 明治23年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7197926 |




