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瓦町
【かわらまち】


旧国名:讃岐

(近世~近代)江戸期~現在の町名。江戸期は丸亀城下の1町。丸亀平野の北部に位置し,北は三浦の地と接する。丸亀城の北にあたる。「西讃府志」には町として記されていない。万治年間の城下図には畑と記され,土居村の出作地であったと考えられるが,元禄10年の城下図には人家が記されており,京極氏入封以後に町が成立した。同地図には,1畝15歩~1反の土地12筆に14人の瓦師の名が記されており,京極氏による瓦職人の移住策により成立し,地名の由来もそこから起こっていると考えられる。土居村庄屋の管轄地であったが,たびたび町の所轄が問題とされたらしく,宝暦4年には当町へ御家人方が建てた家の町役などを勤めないことについて以後如何なることが発生しようとも北平山町には関係がないというような達しがなされている(古法便覧)。寺院は浄土真宗専念寺と臨済宗宝津寺があった。なお「西讃府志」には2寺とも北平山町に記載されている。専念寺は山崎氏の旧地天草から城南に移され,万治年間に当地へ移された。宝津寺はもと網干竜門寺末派で京極氏菩提寺の1つ,斎食料40石(西讃府志)。神祠は妙見祠(産巣日神社)があった。同祠は享保17年所轄について争論があり,社地は土居村構,支配は善通寺誕生院とされている(古法便覧)。明治11年には丸亀町の1町となり,同18年まで東組に所属。同23年市制町村制施行により丸亀町の1町となり,同32年市制実施にともなって丸亀市瓦町となる。明治4年の町の広さは,2,829坪余。同21年の戸数146・人口620(うち旧士族336),職業別人口は商業297・工業30・農業30・雑業263(丸亀市史)。下級武士の町である風袋(ふるたい)町が南に隣接するため,江戸期より武士が多く居住したと考えられる。明治19年亀湾小学校が浜町より移され丸亀小学校を設立,南条町・葭町に分校をもったが,同20年尋常小学校となって両分校および土居・中府尋常小学校を合併,同34年城北小学校となった。昭和45年の東汐入川埋立てにより同校地は拡張された。当町北部を国鉄予讃本線が通る。世帯数・人口は,昭和27年145・557(男256・女301),同55年149・389(男176・女213)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7198299