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那珂郡
【なかぐん】


旧国名:讃岐

古代~近代の郡名。那賀・仲・中とも書く。「和名抄」の訓は奈加。郡名の由来は,当郡に隣接する多度郡は当郡から分離したものであり,多度郡にある仲村より出た名であるという(西讃府志)。讃岐国の西部に位置し,東は鵜足(うた)郡,西は多度郡と三野(みの)郡,南は阿波国(徳島県)に接し,北は備讃瀬戸に面する。中央部を金倉川が北流して海に注ぐ。北部は丸亀平野の西部を含み,南部は阿讃山脈(讃岐山脈)に連なる山間部である。遺跡としては弥生前期の集落跡である五条遺跡がある。近代以前の郡域は現在の丸亀市のほぼ全域と善通寺市および仲多度郡の南部の地域,琴平町・満濃町・仲南(ちゆうなん)町にあたる。
(古代)史料上の初見は,「続日本紀」慶雲4年5月26日の条,44年前の白村江の敗戦で唐軍の捕虜となった讃岐国那珂郡の錦部刀良らが遣唐使一行とともに帰国したという記事だが,ほぼ同じ白鳳期の末頃,柿本人麻呂が讃岐国の中の水門【みなと】から船出をして狭岑【さみね】島に至り,浜に伏す水死人をみて哀悼の長歌を詠んでいる(万葉集)。
(中世)那珂郡内で鎌倉期の史料に見える荘園は,園城寺領金倉荘・同真野荘・同買田荘,法勝寺領櫛無保,南禅寺牧護庵領垂水荘,醍醐寺領郡家郷,九条家領小松荘・近衛家領塩飽【しわく】荘,大覚寺統の院領に垂水郷,良野新名・満(万)濃池,領主不明のものに,木徳荘・真野勅旨などがある。
(近世)生駒氏支配の頃までは仲郡と書く。
(近代)明治元年当郡の幕府領は倉敷県,同4年丸亀県,同年丸亀藩領は丸亀県に所属し,高松藩領は高松県となり,ともに同年香川県,同6年名東【みようとう】県,同8年再び香川県,同9年愛媛県,同21年三たび香川県に所属。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7199251