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浜町
【はままち】


旧国名:讃岐

(近世~近代)江戸期~昭和56年の町名。多度郡多度津村のうち。多度津城下の1町。桜川河口左岸の地域で,多度津山影浦の天然の良港。桜川の舟付場として出入舟が多く繁栄した地。金比羅名所図には,「丸亀の船着より一里余西にあり,是より金毘羅参詣の行程三里,善通寺へ一里半,浜辺には船宿・旅籠屋建てつゞき,或は岸に上酒煮売りの出店,うどん・そばの担売り,甘酒・餅菓子など商う者往来絶ゆることなし,その余諸商人・船大工などありて平常賑わし。且又,西国筋往還りの諸船のうち,金毘羅参詣なさんとす徒はここに着船して善通寺を拝し象頭山に登る。その都合よきを以てここに船を待たせ参詣するもの多し」とある。とくに文政10年桜川を外濠として京極氏の陣屋が構築されるとともに港町としての基礎が築かれた。また天保年間,第5代藩主京極高琢は家老河口久右衛門を工事総支配に登用し,一藩20か村の経済力を挙げて港づくりに着手した。工事費用総額は6,000両とも1万両ともいわれ,発起掛銀62貫603匁3分(1,000両余)を元銀とした講銀をはじめとして,大庄屋による下津井萩の屋からの借用金,大坂鴻池からの借用金,藩士俸禄の7%の天引などによって集められた(天保年間御講文書・天保13年御在所より勤番者江取替金帳・定府分取替金帳・定府小扶持方永引貸帳・大納戸控)。前後11年間に及ぶ金策とこれに応じた町の人々に対して,天保13年12月大庄屋・庄屋の苗字帯刀御免から苗字御免,御目見御免,上下着用,米1俵,御酒1斗,鳥目1貫500文,御酒5升などの褒賞が行われた。天保9年この湛甫(築港)の完成によって諸国の廻船入津,西廻り航路の発展とともに遠く蝦夷地(北海道)にまで取引きが及び,廻船・万問屋が甍を連ねて明治期に至るまで港の全盛を極めた。この築港埋立てによって新地・西浜の街通りが造られ,多度津山麓岳下を通って白方へ向かう通りには多くの妓楼が軒を並べ明治期~大正期を通じて弦歌遊興の巷として大いににぎわいを見せた。文久元年酉3月の記録に,浜町・新町・西浜組頭近江屋清右衛門とあり,廻船・万問屋には島屋孫兵衛(多度津本陣)・中村屋源右衛門・米屋清蔵・備前屋久兵衛・福山屋平右衛門・舛屋四郎兵衛・丸尾屋仁右衛門・土屋嘉兵衛・竹屋平兵衛・尾道屋治兵衛・福島屋平重郎・茶屋定八・柳井屋重蔵などがいた。厳島神社は祭神市杵島姫命,影浦(桃陵公園入口より上る)にあって毎年例祭日に神輿の海上渡御が行われ,いわゆる弁天まつりとして有名。ほかに稲荷祠・山神社・船魂宮(旧京極氏の祀れるもの)・恵美須祠がいずれも現在の西浜にあり,藩魚役所(魚市場)の横手にある恵比須社境内には文化3年6月渡海安全金吉丸・重吉丸・恵比須丸などと刻した因島椋浦の廻船問屋寄進の灯籠が保存されている。明和6年藩は当町(西浜)に魚役所を設置し,漁民からの漁獲物をすべて買い上げ,株仲間を組織している仲買人に限って売却し,魚方算用方において売上代金のうち仲買人たちに対して戻り銀が下げ渡されることになっていた。魚介取引高に応じて口銭を徴収し,安永3年口銭改め達しにより,領民は7掛け,他領者は8掛け,塩物は6掛け,漁民の得分は84%と定め,運上口銀の5歩は仲買人・株仲間に戻し,その残額より役所雑費を引いた額を札歩合上納銀とした。藩の魚方支配は家老・勘定奉行・魚方奉行の支配下に魚方算用方・手代・小使などを置いて行われた。天保9年魚売高460貫753匁3分5厘,札より引除高銀3貫900匁余,魚役所内雑費入用引800匁余,残り3貫132匁3分1厘,このうち1貫44匁は魚役所へ内々気付,残り2貫88匁を上納とある(小松伊助魚方勤方日記)。また同15年の藩庫銀収入のうち魚方口上銀は実に44貫,干鰯運上銀14貫余を含めると58貫余となり,この年の諸運上銀31貫余を合わすと約90貫となり全収入の6割を占めた。西浜にあった廻船問屋かつま屋には安政5年盛徳丸が所有していた針筋早見畧,西廻り航路海図や21反帆,仁政丸の元治元年往来手形,買目録などがある。また三宝丸・大神丸・天神丸・一丸など砂糖を運んだ名前を屋号に残している家が数軒ある。幕末には商人宿に阿波亀(阿波屋亀吉)・竹屋(平兵衛)・備前屋・松定などがあった。第2期埋立後万問屋高見屋は汽船宿を浦役場下命により開業し(明治3年多度津藩管船司),花菱・ゑびす屋・多度津蒸気船取扱所日庸蟻分社など次々に開業した。幕末から明治期にかけて北海道の主要産物である鯡〆粕・羽鰊などの魚肥が兵庫・大坂だけでなく瀬戸内海の諸港にも輸送された。明治13年の内海主要港湾の北海道移出入のうち多度津港においては,白砂糖4万2,250斤(2万8,876円)の砂糖積出しが随一を占め,北海道への総移出額の4.1%にあたる。また総移入額の32.4%を北海道よりの鯡〆粕16万7,025貫(6万1,893円)・数の子4,000貫(1,600円)・昆布1万2,000貫(1,500円)となっている(西南諸港報告書)。同23年多度津町多度津に含まれ,同町の通称地名となった。昭和56年東浜・西浜となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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