古三津
【ふるみつ】

旧国名:伊予
松山平野北西部に位置する。北東部に天満山・大明神山などの低平な分離丘陵があるほかは平坦地である。古代は「和名抄」に見える和気(わけ)郡姫原郷に属したと推定される。大明神山には純友館跡があり,藤原純友が博多からの帰途,ここにおいて警固使橘遠保に討たれ,遠保はその功により宇和郡を賜ったという。純友館跡の周辺には純友駒繋の松,純友の重臣の墓鬼塚,純友の乳母の墓孀塚など純友にまつわる伝承が多い。慶長5年9月河野家遺臣の村上掃部らが佃十成の軍と戦い敗れた苅屋古戦場跡がある(温故録)。
【古三津村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【古三津村(近代)】 明治22年~大正14年の自治体名。
【古三津(近代)】 大正14年~昭和17年の大字名。
【古三津町(近代)】 昭和17年~現在の松山市の町名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7202952 |




