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沖ノ島
【おきのしま】


宗像(むなかた)郡大島村の,大島西方49kmにある島。東西1km,南北0.5km,周囲約4kmで,九州本土の宗像郡玄海町神湊まで57km,長崎県対馬の厳原(いずはら)まで75km,韓国の釜山まで145km。この島の文献上の初見は鎌倉末期に成立した「宗像大菩薩御縁起」に「息御島」とあるもので,「日本与高麗中間也」とあり,日本の境界の地と意識されていた(神道大系神社編宗像)。正平23年の宗像年中行事にも「一,息御島〈日本与高麗之堺〉第一大神宮本社云々」とあり,日本の境界であり,宗像神社の本社であった(同前)。また,当地には灯台の機能をもった「息御島御灯」があった(嶺家文書/宗像郡誌)。なお,朝鮮の史料である「海東諸国紀」には「小崎於島」とある。江戸期には福岡藩が警備のため,足軽3・水主4・従夫2を防人として置き,50日交代で任務にあたらせた。地質的には,主として石英斑岩からなり,沖ノ島灯台の立つ一ノ岳(243m)を主峰として,二ノ岳(220m),三ノ岳(210m),白岳(180m)と北東へ低く連なり,山頂からは北西に壱岐・対馬,東から南に下関市の六連島,北九州市の皿倉山,さらに宗像郡一帯を望む。分水嶺の南側は灰白色の岩壁がそびえ,北東部の白岳では150mの急崖が海に迫る。御前浜の船溜近くの粘板岩の崩壊地を除けば,海岸線は巨岩の連なる荒磯と海食崖からなる。「続風土記拾遺」には,「磯の岸水の滴る処有。水ノ島と云。炎年にも涸ることなし。神水也。此辺に少しの砂土ありて小舟を曳く。余は舟を寄へき磯なし」とある。対馬暖流に洗われるため気温が高く,全島常緑広葉樹に覆われて暖帯林層をなし,大正15年,沖ノ島原始林として国天然記念物に指定された。主稜の北西側および南部はタブノキを主とし,ホルトノキ・ヤブニッケイ・ホソバタブ・ナタオレノキなどが混じる典型的なタブ型の森林で,林内にはアオキ・ヤブツバキ・ハマビワなどの亜高木・低木が多く,下草もムサシアブミ・ノシランなどの海岸性のもので占められ,ナンゴクウラシマソウ・オリヅルシダ・イワヒトデなどもみられる。林内にはオオミズナギドリが生息し,多くの巣穴が掘られている。島の南東側は急傾斜の崖で,その下に崩れ落ちた岩塊や土砂がたまり,ハチジョウススキを主とする帯状の草原となり,ニオウヤブマオやハマウドが生育し,さらにキクタニギクなどが混じって沖ノ島独特の海岸斜面草原を形成し,上方はハマビワ・トベラなどの低木林に続く。島の北端のワレノハナの70mの崖上にビロウ個体群が生育し,実生の幼苗もみられることが注目され,南部ではタブノキの樹上や岩上にオオタニワタリも見られ,南方系植物分布の北限をなす。近海は,タイ・ブリ・オオバイワシなどの好漁場で,磯根に生息する魚類の宝庫でもある。波止めに積みあげられたテトラポッドの海中空間は絶好の魚巣となり,イシダイの魚影が濃い。島の南端御前浜にある沖ノ島漁港は,県管理の第4種漁港。一帯の海域は海象条件が悪く,避難港,好漁場への前進根拠地として,利用する漁船数は年間850隻に及び,第7次整備計画が進行中。宗像大社の沖津宮は,一ノ岳西南中腹の原始林の中に鎮座し,全島域が境内地で,島全体が御神体としてあがめられ,今日でも禊なしには上陸できない。大祭で島に渡る場合には,前日から大島の中津宮で潔斎し,上陸前に海中で禊を行う。女性の参拝は大島岩瀬にある沖津宮遥拝所からのみ許される。沖津宮の御神水以外は一本一草たりとも島外に持ち出すことは許されず,島内の様子を語ることさえ不言島(おいわずさま)と称してタブーであり,沖ノ島だけの独特の忌詞もあった。福岡藩から沖ノ島番を命じられた青柳種信は「防人日記」に「忌詞などもやうやう帰るべき間近くなりていひあやまたずなりぬ」と記す。第2次大戦中には陸・海軍施設が建設され,数百人の兵士が駐屯したが,このときも信仰上の慣習は守られた。沖ノ島の本格的な学術調査は昭和29年の祭祀遺跡調査が最初で,4・5世紀の巨岩上の祭祀遺跡から,岩陰における祭祀,半岩陰・半露天における祭祀を経て,8・9世紀の露天祭祀に至る,古代祭祀の形態の変化が明らかにされた。出土遺物は祭祀専用品のほか,神に献納したみてぐらとして,金属製品の馬具,純金の指輪,数々のガラス製品,唐三彩や奈良三彩など,優れた工芸品が多く,海の正倉院といわれ,国家の献納品と推定される。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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