忠見
【ただみ】
旧国名:筑後
星野川下流右岸の平地に位置し,中央を山ノ井川が流れる。川崎城主川崎三郎定宗が治承4年に大隅国より勧請したと伝える川崎荘の鎮守正八幡がある。天正18年兵火により焼亡したが万治3年再興された。
【忠見別符(中世)】 鎌倉期~戦国期に見える別符名。
【忠見村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【忠見村(近代)】 明治22年~昭和29年の自治体名。
【忠見(近代)】 明治22年~現在の大字名。
 | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7212543 |