垂見
【たるみ】

旧国名:筑後
筑後平野の南西部,矢部川下流右岸に位置する。南部の平木ガラン付近からは弥生式土器が出土し,倉庫跡・住居跡・井戸跡も発見された。中央部の江崎の城や東北部,中南部の三郎丸付近から土師器が採集されている。条里制の遺構もあり,三十六坪という地名も残っていたが,近年の圃場整備によって消滅した。また,平安期の住居跡・井戸跡が北部で確認されている。中世の三郎丸名は地内の三郎丸が遺称地といい(鷹尾文書),鷹尾別符を構成する鷹尾十名の1つ。三郎丸の垂見八幡は久安4年の創立といわれ,鷹尾八幡の分社と考えられる。垂見大宮司は鷹尾神社社家十社の1つで,鷹尾八幡宮の祭礼に関与している。地内の中央にある心源寺は,大友親繁の菩提寺という。また,垂見城跡があるが,同城は,大内氏の臣陶美作守が拠り,大永5年に吉弘・田北の大友勢に攻められ落城し,代わって辺春氏が当城に拠ったが,蒲池鑑久に攻められ落城した。以来蒲池氏の勢力下にあり,垂見常陸介が元亀・天正年間頃に居たが,天正9年蒲池氏滅亡とともに滅びたという。
【垂見村(近世)】 江戸期の村名。
【垂見村(近代)】 明治9~22年の村名。
【垂見村(近代)】 明治22~40年の山門郡の自治体名。
【垂見(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7212641 |




