鹿島
【かしま】

旧国名:肥前
嘉島とも書く。多良(たら)岳から北東部に放射状にのびる数条の丘陵上に位置し,東は有明海に面する。地名の初見は延喜式の兵部省の項に「肥前国鹿島馬牧」と見える。「風土記」には藤津郡能美郷の名が見え,鹿島の地域はこれに含まれ,平城宮跡から「肥前国藤津郡調綿壱佰屯〈四両養老二年〉」の銘のある木簡も発見されている。慶長14年佐賀藩から鍋島忠茂が藤津郡に1万石を与えられ,その知行地一円を鹿島と呼んだが,一般には当初藩の館があった常広地区を指す。貞享2年の「鹿島志」に「鹿島は藤津郡或は常広という」とあり,のちに藩館内の町の部分をとくに鹿島町と呼んだ。地名の由来については「鹿島志」に「相伝う当初常州鹿島社を此に遷す,故に名づくという」とある。鹿島地方における江戸期以後の干拓地面積は,鹿島村103ha,鹿島町72ha,浜町58ha,七浦村54ha,計287haであるが,鹿島町の大部分は大字重ノ木に属するものである(干拓史)。干拓地は塩田川以北では搦と称されるが,以南の鹿島平野では籠と呼ばれることが多く,鹿島川下流域には籠名が集中している。
【鹿島村(近世)】 江戸期の村名。
【鹿島町(近代)】 大正元年~昭和29年の藤津郡の自治体名。
【鹿島村(近代)】 大正元年~昭和29年の藤津郡の自治体名。
【鹿島市(近代)】 昭和29年~現在の自治体名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7216424 |




