五反田
【ごたんだ】

旧国名:肥前
玉島川下流の扇状地に位置する。古代にはこの近くまで海岸線が入り込んでいたという。「続日本紀」にいう遣唐使の船が着いた松浦郡橘浦を,当地に比定する説がある。「延喜式」に松浦郡の駅として5つを記すが,その1つ大村は当地に比定される。後背部の丘陵には,石鏃の出土が見られ,弥生時代のドルメン群も発見されている。大村神社付近からは,弥生中期の土器片や石器が出土。五反田古墳は横穴石室を有する円墳で,中空角形金環と金銅冠を出土している。「松浦古事記」によれば,天平13年(松浦昔鑑および松浦記集成では同9年)大宰少弐藤原広嗣が板櫃(いたびつ)川(現福岡県)の戦に敗れ,茅原ケ浦(ちわらがうら)に着き死去した。里人は千原寺を建て広嗣の菩提を弔ったと伝える。茅原ケ浦とは当地をさし,千原寺はのち無怨寺となる。中世には鏡神社の大宮司草野氏の館があり,居城鬼ケ城への登り口にあたる。松尾和泉守の居城松尾城(引地城)跡があり,城ノ谷(じようのたに)・仁王・大門などの地名が残る。大門あたりを「心の関」の跡と伝え,「よを重ね心の関のかたきかな別れは鳥の空音ならぬと」の古歌がある。
【五反田村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【五反田(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7216959 |




