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三瀬
【みつせ】


旧国名:肥前

背振山地,初瀬川流域に位置する。地名は初瀬川・鳴瀬川・高瀬川の3つの「瀬川」が地内を流れていることにちなむという(神埼郡郷土誌)。三瀬峠を越えて筑前飯場(現在の福岡市西区)へ通じる飯場越道は古くから肥前と筑前を結ぶ幹線道路であり,道筋の宿には番所が置かれていたという。文永元年に東国から野田周防守大江清秀とその一族が三瀬の杉屋敷に来着して,山中地蔵屋敷に館を構え,三瀬山をはじめ一万ケ瀬(神埼郡)・奈於(佐賀郡)・轆轤(神埼郡)・弘滝山(神埼郡)などを領掌した。一方,清秀は衰退していた玉林寺(現佐賀郡大和町)の末寺長谷山観音禅寺を再興し,さらに同年9月杉屋敷に筑前香椎から分霊を奉祀し,仲哀天皇・神功皇后を合祀して杉大明神を造営,スギ1万本を神木として寄進したという。また鎌倉期の末,清秀の子房儀は山中から宿に移って館を構え,この館の東北にある城山(河内山)に城郭を築いたという。これがのちの三瀬城である。応永16年房儀の孫家房の時,三瀬と姓を改めた。三瀬氏は神埼七山衆として,少弐氏・千葉氏と結び,やがて神代勝利に従って神代三人衆の1人として活躍するが,この間の永正年間に,三瀬城は三瀬土佐守宗利により本格的山城として手が加えられ,享禄年間に山内の統率者として神代勝利を迎え,勝利の本拠となった(三瀬村誌)。地内からは宿北方遺跡をはじめとする縄文時代の遺跡が多く発見されている。
三瀬村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
三瀬村(近代)】 明治22年~現在の神埼郡の自治体名。
三瀬(近代)】 明治22年~現在の三瀬村の大字名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7218782