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村田
【むらた】


旧国名:肥前

筑後川の支流沼川中流左岸の低位段丘に位置する。地内の朝日山は平地に孤立する標高133mの小山で,古代には北の基肄(きい)城とともに大宰府防衛の一環として烽火台が置かれたといわれ,「肥前国風土記」養父(やぶ)郡の条に「烽壱所」とあるのは,この山のことと考えられ,遺構は煙滅しているが頂上のわずかな平坦地が烽火台跡とされている。中世には朝日氏の居城となり,大宰少弐貞経の弟朝日資法が初代城主。享禄3年大内義隆の将杉興連の東肥前侵攻の際,朝日氏8代頼貫は寝返って大内方につき,少弐軍と神埼郡の田手畷に戦って戦死し,朝日氏は断絶した。天文元年九州探題渋川義長の居城となったが,大内勢ならびに筑紫惟門に攻められ落城。これより筑紫氏の居城勝尾城の支城となったが,天正14年島津勢に攻め落とされて以後廃城となった。「肥前国風土記」に養父郡狭山郷のこととして「纒向日代(景行)天皇,この山の行宮に在してのたまわく,四方を望むに分明(さやけ)しとのりたまいき。因りて分明村という。今訛りて狭山郷という」とあるのは朝日山のこととされ,眺望の地である。江戸期に成富兵庫茂安がマツを植林したといわれる。
村田荘(中世)】 鎌倉期~戦国期に見える荘園名。
村田村(近世)】 江戸期の村名。
村田町(近代)】 昭和34年~現在の鳥栖【とす】市の町名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7218888