尾崎
【おさき】

旧国名:対馬
対馬の中央部,浅茅(あそう)湾口南岸に位置し,持山の南東麓に集落がある。地名の由来は,「尾崎,御先之転音,前駈神〈美佐幾〉鎮座于御崎也」という(津島紀事)。なお,水崎の字名も「みさき」と呼び,尾崎と水崎は本来同じ御崎であったと解される。「津島紀略」は「境内有槌瓜〈都知布利〉,大連河内〈於保都羅加布知〉,水崎〈美都左幾〉,仮宿〈加利耶土〉,等名」として,「海東諸国紀」に見える頭知洞を槌瓜,阿吾頭羅可知を大連河内,可里也徒を仮宿,敏沙只を水崎に比定した。これらの浦名は現在も字として存在し,これらを総称して尾崎という。浅茅大口の南側にある船泊りとして知られ,貿易や海賊行為を行い,「李朝実録」および「海東諸国紀」にその名を記された豪族早田氏がこの地におり,都合700余戸の民家があった。
【尾崎村(近世)】 江戸期~明治41年の村名。
【尾崎(近代)】 明治41年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7219989 |




