香焼
【こうやぎ】

旧国名:肥前
長崎半島北部,長崎湾の南に位置する。もと香焼島と蔭ノ尾島の2島からなっていたが,昭和17年埋め立てられて1島となり,さらに同43年長崎市深堀との間も埋め立てられ陸続きとなる。地名の由来は,俗説によれば「クワヤキ」の転訛したもので,「クワ」は「茎」のことで樹木を意味し,叢林地を焼いて焼畑農業をしたことを物語っているという。南西部に石炭層が存在し,元禄年間から農民による勝手掘りが伝えられる。その後造船業が立地,海岸は埋立工事が続き,土地原形の50%の増加となり,汀線は失われている。雨量は少なく,水源に乏しく,第2次大戦後は対岸の長崎市八郎岳に水源を求めている。島の東南に日野山古戦場跡がある。なお,「リンスホーテン東方廻遊記」にはカフリ(caffury)の島が見えるが(大日料11-17),この島は当地に比定される。
【香焼島(中世)】 鎌倉期から見える地名。
【香焼村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【香焼(近代)】 明治22~31年の深堀村の大字名。
【香焼村(近代)】 明治31年~昭和36年の西彼杵郡の自治体名。
【香焼町(近代)】 昭和36年~現在の西彼杵郡の自治体名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7220664 |




