日見
【ひみ】

旧国名:肥前
長崎半島北部,橘湾(千々石(ちぢわ)湾)の西岸に位置する。西に日見峠,南に金比羅岳,北に水ノ平岳と三方を山に囲まれ,中央部にわずかに開ける平地を日見川が東へ流れて橘湾に注ぐ。地名の由来は,東に橘湾が開けるところから「嶺上に日を見れば則早く,嶺下に日を見れば則遅し」という日見峠からきたものらしい(長崎名勝図絵)。また同書に異説もあって,かつて網場(あば)に上陸した深堀方の軍勢が盛んにかがり火を焚いたのを長崎方の軍勢が見たところから火見峠となったともある。地内南西部にある高城山は,上記の天正年間の長崎氏(大村氏配下)と深堀氏の古戦場で,山上には石塁が残る。西川如見の「長崎夜話草」に日見桜の記事が見え,日見の桜谷(おうこく)寺には天正年間頃南蛮人が接いだという桜の大木があり,木の囲み1丈1尺・東西15間・南北13間・高10間ばかりの大きさで,花盛りには一山の雪を見るようだったが,延宝年間頃枯れたと伝えている。しかし,その所在地は網場の養国寺,宿の旧観音寺,日見峠と3説あって特定できない。
【日見(中世)】 織豊期に見える地名。
【日見村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【日見村(近代)】 明治22年~昭和30年の西彼杵郡の自治体名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7222515 |




