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【まがり】


旧国名:対馬

対馬の南部東海岸,阿須湾の北東に位置する。農業はまったく行われず,対馬でも唯一の海人の村であった。地名の由来は,「津島紀事」に「曲は連巻の義乎」と海岸が入れ曲がっている意かとしている。伝説によれば,寛元年間にある高貴の人に供奉して筑前鐘ケ崎(現福岡県玄海町)の漁夫37隻が渡島し,うち30隻は鐘ケ崎に帰ったが,7隻は鴨居瀬の住吉と雞知(けち)の高浜に船住居して残り,嘉吉年間頃小浦の一部である曲に移って陸住居となったという。高貴の人とは宗重尚の入国に従った人というが,一説には安徳天皇を奉じてきた人ともいう。曲浦に定着する以前の海人船は,対馬八海(全島八郷の海岸)の浦々に漂泊していた。海人の証文として伝えられてきた寛正6年の判物には「阿須はもとより浦々八海之事以前より御免ある上は,何方の海をも網引候て京進の御公事その他時々の御肴馳走可申由御意にて候,なお公方事少しも無沙汰不可有の条如件,寛正六年十月十七日,盛直判,ふなかた中」とあり,これを八海御免の漁業権と称し曲海人の特権とされたものである。この文書は偽文書の可能性が強いが,盛直とあるのは島主宗盛直,公方とあるのは当時大内氏に追われて対馬に逃れていた少弐教頼のことである。応仁元年,教頼と盛直は筑前に出陣し,失地回復を図ったが成らず,共に敗死した。宗氏はたびたび兵を九州に動かしたが,そのつど島内の海人船団が活躍した。このように宗氏との結びつきが強く,阿須浦を根拠地とした縁故から,曲浦に定着したものと見られる。
曲村(近世)】 江戸期~明治41年の村名。
曲(近代)】 明治41年~現在の大字名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7222860