玉祥寺
【ぎょくしょうじ】

旧国名:肥後
菊池川支流の迫間(はざま)川が蛇行して姫女淵,万田淵などをつくり,その右岸に位置する。地名について,「菊池風土記」には「此村昔は西迫間内なり玉祥寺出来て後別に村名となる」とある。地内の北玉祥寺遺跡から狭鋒銅鉾(東京国立博物館蔵)が出土し,柄に穂袋,側面には環状の耳がある。この銅鉾に関しては,菊池容斎の「前賢故実考証」に「嘉永元年二月肥後菊池郡玉祥寺村掘地所獲,隈本藩士福田儀右衛門携来,賜予」とあるが,出土状態などは不明(県天然記念物調査報告)。長禄4年2月18日の菊池為邦安堵状(玉祥寺文書/県史料中世1)には「当国野原郷之内倉満牛水田畠事,依志買取寄進玉祥寺云云」とあり,荒木日向守の寺領目録には,菊池・合志(こうし)・山鹿にわたって2町8反余を領したとある(菊池風土記)。地内の曹洞宗玉祥寺は菊池氏の菩提寺で,一説に享徳元年菊池為邦が建立したという。寺内に天正15年佐々成政が隈部親永の菊池城を攻めた時に,寺僧が埋めたという梵鐘がある。この梵鐘は宝暦10年に掘り出され,なかに銅の花瓶と銅銭141枚があったといい,鐘の縦帯に「肥後州菊池郡 江月山玉祥禅寺 元堂前 明応五年丙辰 閏二月日 当住香淳再興 大工藤原冬次」という陰刻がある。境内には長享2年銘の菊池為邦の墓や菊池重朝の墓がある。
【玉祥寺村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【玉祥寺(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7224886 |




