楠浦
【くすうら】

旧国名:肥後
天草下島東部,方原川および立浦川流域に位置し,八代(やつしろ)海(不知火海)に面する。地名については,「くす」は「くし」の意で,入江や岬が多く櫛の歯のような地形であったことから「くしうら」の転訛とする説などがあるほか,楠の巨木があったことにちなむとも伝える。楠浦新田の舌状台地からは縄文時代の土器・石斧・石鏃・石匕などが出土している。また観音向山1号墳・同2号墳・南古郷古墳・鬼の鼻古墳などがあり,横穴式石室を有する円墳と考えられる。立浦の寺山には荒神祠と天文8年銘の板碑があり,寺中には室町期の五輪塔など50基以上に及ぶ伊賀倉権現古塔群がある。皿山の窯跡からは陶磁片が多数出土しており,文禄・慶長の役の際に連行した朝鮮人捕虜に陶磁器を焼かせ,楠浦焼と称したという伝承がある。なお「天草近代年譜」には,慶長9年3月に薩摩藩主の島津義弘が当地から移住した帰化朝鮮人朴平意らに命じて薩摩日置郡苗代川村に窯を築いた旨が記されている。
【楠浦村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【楠浦村(近代)】 明治22年~昭和29年の天草郡の自治体名。
【楠浦町(近代)】 昭和29年~現在の本渡市の町名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7224925 |




