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窪田荘
【くぼたのしょう】


旧国名:肥後

(中世)鎌倉期に見える荘園名。飽田(あきた)郡のうち。九条家領。初見は建長2年11月日の九条道家惣処分状(九条家文書/鎌遺7250)で,一条摂政(実経)への譲与分中の新御領の1つとして「肥後国窪田庄〈准后御領〉」とある。准后は一条能保の女婿西園寺公経の娘で,道家の妻となった藤原倫子であり,当荘は倫子が嫁ぐに際し実家から持参してきた所領と思われる。建治2年3月30日の肥後窪田荘僧定愉請文および肥後窪田荘僧定愉注進状(石清水文書/鎌遺12271・12275)によれば,当荘の預所僧定愉は,すでに10日に押領使河尻兵衛尉に返書を遣わしたが,幕府の高麗出兵の計画に基づき,軍勢・兵具・乗馬などの注進命令が3月29日に到来したために,重ねて注進を行った。なお後者の注進状では定愉自身は35歳で郎従1人,所従3人,乗馬1疋を伴い,兵具として鎧・腹巻・弓・征矢・大刀を有していたことを注進している。当時の預所は僧定愉で,在地武士であったと推定され,現在の熊本市釜尾付近に比定する説がある。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7224955