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黒肥地
【くろひじ】


旧国名:肥後

人吉盆地北東部,球磨(くま)川北岸の柿川・牛繰川・小椎川・宮が野川・岩川内川などの流域およびこれらの川の間の凝灰岩の丘陵地帯に位置する。地内の大久保からは縄文時代の早・中・後・晩期の土器,長平からは同じく中・後・晩期の土器および弥生式土器が出土。東光寺からも縄文後・晩期の土器,軍野からは犬の土偶や須恵器片,栖山からは石剣がそれぞれ出土する。また獺野原(うそんばる)横穴群・大久保夫婦塚・大園下横穴群・土屋横穴群・小椎野古墳などがあり,金環や鉄鏃・細型銅剣などが出土している。建久4年相良頼景は,遠州相良荘から当地に移って多良木荘を治め,字蓮花寺の球磨川北岸の河畔で発掘された中世の屋敷跡は相良頼景の館跡に比定されている(多良木町史)。また館跡の西方に蓮花寺跡があり,上蓮笠塔婆,五輪塔102基,板碑など29基は古塔婆群として県史跡に指定されている。天正10年と思われる10月24日の願成寺勢辰書状(願成寺文書/県史料中世3)には青蓮寺・黒肥地寺・栖山寺などに宛て「蓮芳様(相良義陽)為御弔,来月十九・廿日より同廿二日迄,於当寺(願成寺)勤行可申候」と見える。字北山下にある青蓮寺阿弥陀堂の本尊阿弥陀如来立像・脇侍観音立像・脇侍勢至立像は国重文。また阿弥陀堂の裏山にある上相良氏や青蓮寺歴代住職の墓と思われる五輪塔78基,石塔婆22基は県史跡(多良木町史)。なお文永10年に相良頼氏の一族が黒肥地の愛宕山に埋めたという法華経8巻を納めた銅筒が発掘されている。また字小林の高台にある虚空蔵堂が,もと黒肥地寺の本堂とされており,本尊の虚空蔵菩薩座像の台座に寛正6年の銘が見える(同前)。なお字栖山には大権現の神殿や観音堂がある。字横瀬には大王社があり,「球磨郡神社記」によれば正和年間の草創で,平川良高の四男で当地を支配した四郎高実を祀ったという。また,字獺野原は永禄2年8月,相良義陽の重臣丸目兵庫と東弾正が児玉弥太郎・早田兵八郎・深水新左衛門らの謀略によって反目し,両軍が戦闘を交えた古戦場で,付近には阿弥陀堂や五輪塔などが残る。
黒肥地村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
黒肥地村(近代)】 明治22年~昭和30年の球磨郡の自治体名。
黒肥地(近代)】 昭和30年~現在の多良木町の大字名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7225032