坂上村
【さかのうえむら】

旧国名:肥後
(近世)江戸期~明治9年の村名。玉名郡のうち。明治初年からは阪上村とも書く。玉名低山地,菊池川支流の内田川中流左岸に位置する。熊本藩領。村高は,「寛永郷帳」1,642石余,「正保郷帳」も同高でうち田1,262石余・畠380石余,「天保郷帳」1,719石余。「旧高旧領」791石余。江戸末期までに東坂上村を分村。「肥後国誌」では南関手永に属し,高750石余,「里俗本坂ノ上村と云」と記され,小村に太郎丸村・井手村・宮島村・桑水村・小田村・長ノ浦村が見え,神社に宝満宮・藪神,寺院に浄土真宗西派妙福寺のほか時宗の道場があり,寺跡に長寿院跡・禅安寺跡がある。また応仁2年の銘を有する臼間野善郷の墓があり,地内の臼間野桜馬場の桜は臼間野氏が植えたものと記す。同書は東坂上村を別記し,その高が当村とほぼ同じ750石であることから,分村は当村を二分して行われたものと思われる。幕末期には宝満宮の神主による私塾が開かれていた。熊本県,白川県を経て,明治9年熊本県に所属。明治7年坂上小学校開設。同9年豊永村の一部となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7225354 |